『風船猿と恐竜湖』


オモチャと大差ない空気銃と、大量に押しつけられたクッキー、
謎の壊れた機械、その他諸々。これで旅をするのは、あまりにも不安です。
「大体南ったって、一体何処まで南なんだよ……」
せめて地名とか国名とか、周囲に見えるものとか、そういうのを伝えるのが、
人を呼び出すときの礼儀ってもんじゃないだろうか?
……などと小難しいことを考えながら、少年は歩みを進めました。
頭の中は疑問で一杯でしたが、何故か歩みだけは止められないです。
 不意に、少年は足を止めました。
目の前にあるのはドラッグストア。直ぐ近所ですから、何度か入ったこともあります。
(少しは使えるものがあるかな…?)
何の気なしに、少年はドラッグストアに入りました。

「キャーキャッキャッキャー♪」
「○■◇☆♂◎△!???」
眼前に躍り出た毛むくじゃらの物体に、少年は声にならない悲鳴を上げました。
「それ」は少年の顔に貼り付き、もさもさ動きます。少年は尻餅をつきました。
目を白黒させながら、なんとか「それ」を引き剥がします。
「さ……サル?」
毛むくじゃらの物体。それはサルでした。
ポカンとしている少年を指さし、「キャッキャ!」と嬉しそうに手を叩くと、
一度向こうを向き、振り向き様にニヒルな笑顔でVサインをして見せます。
(何がイエイだこの野郎……)
少年はかちんときながら、店内を見渡しました。
レジで暇そうにしている店員、賞品を眺める買い物客。
誰もサルの存在に疑問を抱く者はいません。この店ではありふれた光景のようです。
(くそっ……この店の管理はどうなってんだよ……)
内心で悪態を付きながら、少年は服の埃を払って立ち上がりました。
サルが物言いたげに此方を見上げていますが、とりあえず無視です。
「あのぉ、すいません。」
少年の声に、店員はやる気なさそうに「っしゃいませ〜……」と呟きました。
「旅行に使えそうな物とか、何かありませんか?」
店員は無言で、商品のリストを広げました。
「ゴヂラのバット―698ドル、たのしいフライパン―1490ドル、
 しずけさのコイン―2500ドル……」
「………。」
少年はポケットの残金を確かめました。……2ドルです。
「どうしますかぁ〜?」
店員がぼんやりと言いました。少年は愛想笑いしてから、ガバリと振り向き、
早く口にぶつぶつと呟きました。
「おかしい……絶対間違ってる。どんだけ楽しいフライパンなんだか知らないが、
 そんな値段のフライパンに需要なんて無い。そもそも旅行に役立つ物って言ってるのに
 なんでオススメがバットにフライパンにコイン!?見えない、関連性が見えない。
 決して金がないとかそういう負け惜しみじゃない!断じてない!
 第一ドラッグストアだってのに薬の類が一つも置いてないなんて……」
「あの〜、お客さ〜ん?」
妙に間延びした声が聞こえました。振り返ると、これまた店員らしき女の人が、
少年の背中をちょいちょいと突いています。
「なんですか……?」
世の不条理について悶々としていた少年は、ぼんやりと返事しました。
すると女の人は、少年に負けず劣らずげんなりした顔で言ったのです。
「入り口の所にいるサルですけどね。うるさいからあげますよ。」
「……?」
言われた意味が分からず、少年は眼鏡の奥の目をぱちくりさせました。
「フーセンガムを買ってくれたら、おまけに差し上げます。」
(いらねーーーーー!!!!!)
少年は顔面筋が痙りそうなほど引きつりました。
別に動物が嫌いなわけではありませんが、誰の目に見ても五月蠅いサル。
さっきの体当たりから考えて、とくにしつけられているわけでもない。
迷惑以外の何でもないサルをあげますと言われ、「わぁい」と言う人も珍しいでしょう。
(大体おまけってなんだよ!?ガムのおまけがサルって、グリコを買ったら、
 マークの走ってるオッサンをあげますっていうような暴挙だろ!?
 そもそも邪魔にするくらいなら、初めから飼わなきゃイイだろうが!)
「あのぉお客さん〜?」
女の人は、怪訝な表情で少年の顔を覗き込みました。
「い、いりませんよ……」
やっとの思いでそう言って、少年は出入り口の方へ向かいました。
ドアの傍らで、サルがびしりと親指を立てました。彼は何故其処まで上機嫌なのでしょう?
ドアを押し開こうとしたときでした。
「何も買わないんですか?」
咎めるようなその一言。さっきまでレジでぼんやりしていた店員が、
笑顔で…それでいて刺すような視線をたたえて、此方を見ています。
(う……)
持って生まれた押しに弱い気質というか、流されやすさというか。
たじろぐ少年の視界に、フーセンガムを振りながら、にこにこする女の人が映りました。
「か、買います……」
内心で涙しつつ、少年は貴重な一ドルを差し出しました。

「有り難うございます、もうおサルは貴方の物ですよ〜」
と、言われても、特に嬉しくありません。渋々入り口に向かうと
サルがすすすと寄ってきました。そしてびしっと「気を付け」をし、敬礼。
「(貴方が今日から自分のご主人なのでありますね!)」
(な、なんだこのサル……!?)
妙に機敏なその動きにも驚きましたが、何より驚いたのは、
――自分がその言葉がわかるという事実です。
そう、確かに耳にはキーキーとしか聞こえません。でも分かるのです。
「(と言うわけで、ガムくれ。)」
腹が立つほどに。
「……は?」
「(ガムくれよぅ、ご主人〜。なぁなぁ〜)」
サルはちょいちょいと少年の膝を肘で突きました。色恋沙汰で同級生をからかうように。
そういう場合、大抵胸とか脇腹を突くのでしょうが、サルは少年の腰より背が低いのです。
「さ、サルがガムなんか食べたら、腹壊すぞ……」
少年はやっとの思いでそう言いましたが、サルは益々擦り寄ってきました。
「(まぁ固いこと言うなって!あらよっと!)」
「あ、こいつ!」
サルは少年の持っていたガムを、一枚奪い取って膨らませました。すると――
 ぷぅ〜わ
「………。」
器用にも頭より大きく膨らんだフーセンガムは、ぷわりとサルの身体を持ち上げたのです。
あんぐりと口を開く少年を余所に、サルは床から一メートルほどの所をぷかぷか漂い、
すぐにぷわぷわと降りてきました。
「(ぃよしっ!まだおいらの腕前は衰えちゃいねぇなぁ!)」
サルは満足げに頷きながら、ガムをもごもごとやりました。
少年ははっと我に返り、サルの肩を掴んでガクガクと揺さぶります。
「おい!なんだよ、今の!?」
「(今のって?)」
「浮いたろ、お前!フーセンガムで!」
サルは照れたらしく、頬に手を当ててくねくねとしました。
「(まぁおいらバルーンモンキーだしなぁ。へへっ、驚いたちまったかい、ご主人?)」
「理由になってない!」
少年の怒鳴り声に、モンキーは小さな目をぱちくりさせました。
「おかしい、絶対におかしい!いくらサルが人間より小柄だからって、
 どんなに大きく膨らましたって、風船ガムで浮くはずがない!
 ヘリウムが詰まっているんなら兎も角、単なる呼気での浮遊なんて不可能だ!」
「(んなこと言ってもよぅ……おいら、生まれついてのバルーンモンキーだしなぁ)」
呑気に言うサルに、少年の目がきらりと光りました。
「お前は物理法則を破っている。これは、調べる価値がありそうだ……」
科学者の血がうずき出したのか、少年は腕を組んでモンキーを見つめます。
モンキーははっとして、最初から何も着ていないのに、胸を隠すように肩を抱きました。
「(おいらに何をする気なの!?ま、まさか力尽くで…!?)」
「阿呆。」
少年は呆れて溜息を付きました。モンキーは少年をからかっていたのか、
にやにやと此方を見上げてきます。
「(だってご主人が調べるとか言うからさぁ。何をする気だったんだい?)」
少年は仕返しと言わんばかりに、意地悪く目を細めました。
「う〜ん……解剖とか?」
「………っ!!!!!!!!!!!!」
モンキーは息を呑み、口を全開にしたまま固まりました。
暫しの沈黙の後、じわりとその目に涙がにじみます。
「冗談!冗談だって!悪かったよ……」
少年はぽすぽすとモンキーの頭を撫でてやりました。
ほんの冗談だったのですが、モンキーには何か壮絶な過去でも有ったのでしょうか?
「(おいら役に立つよぅ。ご主人のために頑張るよぅ。だから捨てないでくれよぅ〜)」
「わかった、わかったから!」
肩によじよじと登って泣きつくモンキーに、少年はわたわたと慌てました。
迷惑で変なサルではありますが、こう言われると、なんだか少し可愛い気がしてきます。
「騒がないでくれるんなら、付いてきてもいいしガムもやるから、な?
 あ、でもなんで浮くのかは気になるから、後で詳しく話聞かせろよ?」
モンキーは今までベソを掻いていたのが嘘のように、にんまりと顔を上げ、
「(いえっさー)」
と、親指を立てました。



「(うわ!すげぇぞご主人!水たまりが凍ってるぜぃ!)」
「(ご主人〜……犬のフン、踏んじまったよぉ〜……)」
「(見てくれよご主人!おいらの力作雪像、その名も『氷塊』)」
「(ぎゃぁあああ!!!助けてくれご主人!!!雪に埋まったぁあああ!!!)」
(五月蠅い……)
少年は深々と溜息を付きました。モンキーはずっとキャッキャと騒いでいます。
雪からモンキーを引っ張り出し、少年はじろりと睨みました。
「騒がないって約束だろ。勝手にちょろちょろするからこういう目に遭うんだよ。」
「(でもご主人〜、これが騒がずにいられますかい?)」
モンキーは大げさに手を広げました。
「(辺り一面の銀世界!おいら、楽しくって仕方ないんだよぅ。
 こいみえておいら、ずっと『薬屋入り猿』だったからなぁ。)」
「それは『箱入り娘』と似たようなもんか?」
「(まぁそんなようなもんさ。おぉ!なんだぁ、ありゃ?)」
モンキーはてててと何処かに走り去りました。
(まったく……)
何を言っても無駄なようです。常にハイテンションで何かというと芝居がかる。
なんとなく友人を思い出し、少年はまた溜息をつきました。その時です――
少年は反射的にバンバンガンを撃ちました。
正面から突撃してきた「にくいカラス」に、見事命中します。
カラスはくるりと方向を反転し、尚も少年に向かってきます。
少年がもう一度バンバンガンを撃つと、カラスは流石に大人しくなり、
すごすごと逃げ帰っていきました。
(またか……)
少年はカラスの去っていった方をじっと見つめました。
ここは森にほど近い場所。野生動物も多いし、それらが人間に襲いかかってくることも
無いわけではありません。しかしそれは稀なこと。
こっちが何かしなければ、大抵は動物も何もしないし、うまく共存してきました。
それなのに今日は、やたら動物たちが乱暴です。
何かに指示されているように、次から次へと少年達に向かってきます。
(何かが……起きてる。)
不思議な声。動物たちの異変。何か大きくて嫌なことが怒りそうな、そんな気がしました。
「(ご主人〜。)」
少年の思考を打ち破るように、間の抜けた声がしました。
「また、あのサルは……」
少年が呆れ顔で振り返ると……
「……。」
少年が絶句したのも無理はありません。半べそのモンキーの後には――
――巨大な山羊が、血走った目でこちらを睨んでいたのです。
腕より太く長い角、荒い鼻息、今にも襲いかかってきそうです。
「な……何を連れてきてるんだお前はぁぁぁあああああ!!!!!」
「(連れてきたんじゃねぇよぅ、付いて来ちゃったんだよぅ。なんとかしてくれご主人〜)」
「無茶言うなぁああああ!!!!」
自分のひ弱さを理解している少年は、無謀な戦いを挑んだりはしません。
モンキーの首根っこを引っ掴み、一目散に逃げ出しました。
ふんごぉ〜!ともの凄い鼻息が迫り来るのが聞こえますが、
少年は脇目もふらずに、雪道を走り抜けてゆきました。

ぜぃ……はぁ……ひぃ……
荒い息をしながら、一人と一匹は後ろを振り返りました。
「暴れゴート」はもう追ってこないようです。
「ホント……お前は……ろくなこと……しないな……」
少年は呼吸を整えながら、モンキーを睨みました。
「(おいらだって、好きで付いてこられたわけじゃないよ?
 ちょいとむかついたから、おしりペンペンをしてやっただけさぁ!)」
「………。」
少年は無言でサルの背後に回り、両手に拳骨を作りました。
「それが余計なことだっていってんだよぉ〜!」
「(ぎゃああ、ぐりぐり!ぐりぐりはきついってご主人〜!)」
こめかみをぐりりとされながらも、モンキーは何となく楽しそうに少年の手を逃れました。
「あれ?君たち、何か困ってるの?」
突然、背後で声がしました。振り返ると、お兄さん二人がテントから顔を出しています。
少年とモンキーは顔を見合わせてから、お兄さんに事情を説明しました。
「成る程、山羊に追われて……か。それは大変だったね。紅茶、飲むかい?」
金髪のお兄さんは親切にもテントに招き入れ、紅茶をご馳走してくれました。
紅茶はじんわりと身体を温め、疲れを癒してくれます。
「有り難うございます……」
「気にしないで。それにしても……本当にここの動物達はどうしたんだろうね?」
赤毛のお兄さんが言いました。
「僕らは動物の研究をしにきたんだけど、昔は大人しかった動物が、荒れ狂ってるんだよ。」
少年は微かに目を見開き、こくりと頷きました。
異変に気付いているのは、やはり自分だけではなかったようです。
「何か……嫌なことが起こってるんだろうな……」
お兄さんは宙を見つめ、不安そうにいいました。
カップを握る少年の手に、きゅっと力がこもりました。

お兄さん達と分かれ、少年は再び歩き出しました。
モンキーは相変わらずちょろちょろしては、余計な敵を引き連れてきます。
まぁそのお陰で少年の戦闘レベルがあがったりもしたのですが、
そんなことは少年もモンキーも気付くはずがありません。
叱る少年と、それを物ともしない気ままなサル。
不思議なコンビはやがて、広い湖の畔へとやって来ました。
「(おぉ〜見てくれよご主人!これが噂のタス湖だぜぃ!)」
(サルまでその噂を知ってるのか…)
少年はちょっと複雑な気分でした。とうの昔の絶滅したはずの恐竜。
それが未だに住んでいるという伝説の湖、タス湖。
その恐竜はタッシーなどと安直な名前を付けられ、すっかり名物化していました。
本当にいるという証拠なんて、どこにもないのに。
「くだらないな。」
少年は肩を竦めました。モンキーが不満そうな顔をしています。
「(夢がないなぁご主人は。)」
「ほっとけ。そんな事より、僕はこの湖の先、南に行かなくちゃならない。
 定期船か何か出てないのかな?」
周囲を見渡してみますが、それらしいものは有りません。
「(おいらの風船で、ひとっ飛びと行きますかい?)」
「そんな不安定な物に乗れるか。第一……」
ごつ。少年のおでこに、何かが当たりました。ちょっと痛いです。
「あ、すみません。」
目の前にいた人は、双眼鏡を手にしていました。
どうやら双眼鏡を覗き込んだまま歩いていたため、間近にいる少年に気付かず、
ぶつかってしまったようです。少年はおでこをさすりながら会釈しました。
「いえ……。あの……何してるんですか?」
双眼鏡を持った男の人は、にたぁっと笑いました。
どこかの電気街で、リュックを背負ってバンダナをしていたら、さぞかし似合いそうな人。
そのなんともいえない笑顔に、少年とモンキーはちょっと身震いします。
「いえね、あのタッシーは意外と森の中にいたりするんじゃないかと、
 私勝手に思ってるわけでして……」
「は、はぁ……?」
少年は曖昧に返事しました。すると、
「タッシーが現れるときはですねぇ!」
背後から聞こえた声に、少年は思わず身を縮めます。
冒険者のような恰好に、双眼鏡。目の前の人と似たような出で立ちのその人は、
尋ねてもいないのにぺらぺらと説明をはじめました。
「タッシーが現れるときは、いつも風が吹いているらしいんですよ。
 でもね……ヘックシ!」
おつゆが飛びました。少年は顔を顰めてそれを拭います。
「失敬。いや、私の方が風邪を引きそうですよ。ハハハ!」
上手いことをいったつもりなのか、男の人は楽しそうに笑っています。
「あの……貴方達、ここで何してるんですか?」
男の人たちは、何を言い出すんだというように目をぱちくりさせました。
「タッシーウォッチングに決まってるじゃないか。」
(………。決まっていると言われても……。)
少年は頭痛を覚えました。そんなことなどお構いなしの双眼鏡男達は、
ぱんっと手を合わせ、朗々と言いました。
「そうです。私達はここタス湖で伝説の……タッシーの観測を目的とする
 『タッシーウォッチング隊』……なのです!」
(………。だから、「なのです!」とか言われても……)
奇妙なポーズをとる二人に、少年はどうしていいか分かりませんでした。
『ウォッチング隊』というだけあって、確かに似たような恰好の人が
何人かうろうろしています。手に手に双眼鏡。暇な人もいるもんだ、と少年は思いました。
「君もタッシーオタクの子供かな?んん?」
またしても背後に現れた、三人目の双眼鏡男は、にまにまと少年の顔を覗き込みました。
(一緒にされた……)
少年は帰りたい気持ちになりました。
「君たちは運が良いぞぉ、今日辺りタッシーが現れそうなんだよ。ささ、おいで〜」
ウォッチング隊に促されるまま、少年は彼等のテントの一つにやって来ました。
「ここで休んでいるとイイ。タッシーが出てきたら、すぐに知らせてあげるから。」
「いえ……僕は……」
「いいからいいから。タッシーを好きな奴に悪い奴はいない、って言うだろ?」
(言わないよ。)
「遠慮せずに、シチューでも食べなさい。」
テントの奥に、もわりと暖かな湯気が上がりました。
「どうも、食事係の者です。」
四人目のウォッチング隊、何故かテント内でも双眼鏡を手放さない食事係は、
器にもったシチューを差し出しました。双眼鏡が湯気で曇っています。
「どうぞどうぞ、お金なんかいりませんよ。タッシー仲間ですからね。」
(完全に仲間にされた……)
絶望的な気分にもなりますが、目の前に差し出されたシチューは、
なんともおいしそうな匂いです。モンキーが物欲しそうに見ています。
少年のお腹も、その匂いには抗えないのか、ぐるるるると鳴りました。
「い、いただきます!」
なんともまろやかで、おいしいシチューでした。

少年はテントをこっそり出て、泉の畔に立ちました。既に外は日が昇り始めています。
「僕、一体何やってんだろ……。」
単なる夢ともとれる声に導かれ、規則を破り、南へ向かって、
こんなところでタッシーオタクに囲まれて、ぼんやりしている。
少年にはなんだか、とても不毛なことをしているように思えてきました。
でも――あの呼びかけには、答えなければ。
そう思う意識だけは、まだ強く残っていました。
タッシーウォッチング隊はとてもいい人で、シチューやらお菓子やら
やたらもてなしてくれた上、タッシーについて熱く語り、
ついでに「ただ待っているのも暇だろう」と一緒に七並べを始めたり。
実際今もテントの中では、ウォッチング隊とモンキーが神経衰弱で盛り上がっています。
「タッシーを好きな奴に、悪い奴はいない……か。」
あながち間違っていないのかも知れません。かなり強めの風が吹いていました。
少年は鞄から何かを取り出しました。「ディフェンススプレー」。
ぐーすか寝ているモンキーの隣で、壊れた水道管を夜なべして修理していたら、
いつの間にか出来上がっていたものでした。ガウス先輩の言葉が、頭を過ぎります。
(僕を……待ってくれてる、人が居る。)
そう考えると、早く湖を渡らなければと焦る気持ちが大きくなります。でも……
「(ご主人!)」
突然モンキーの声がして、少年は我に返りました。
ただならぬ表情でテントから走り出てきたモンキーは、少年の頭に飛び付くと、
目を見開いたままぱしぱしと叩いてきました。
「イテイテ!何するんだよ!」
「(今、今ガムくれ!そしておいらに任せるんだ!)」
「はぁっ!?」
モンキーは問答無用でガムを奪い取り、膨らませました。ぷぅわと身体が宙に浮きます。
そしてそのまま、ぷわぷわと泉の方へ浮いていくではありませんか。
「な、何してるんだよ!危ないぞ!」
その時でした。
ずざざざざざぁぁぁぁぁ………
湖の水が突如盛り上がり、何か巨大な物体がゆっくりと出てきたのです。
滑らかな曲線で出来た身体、長く伸びた首、悠然とした動き。
ちっちゃな目、ゆる〜い口元……なんとなく間の抜けた顔。
あんぐりと口を開ける少年を余所に、モンキーは「それ」の頭へ着地しました。
「(さ、行こうよご主人。タッシーさんが向こう岸まで乗せてってくれるってさ。)」
――タッシーは、ぽわ〜んとした顔で微笑んでいました。






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