『game2』



「いや、だって、他にもいるなんて知らなかったから………」
 江藤は床に手をついて項垂れていた。
あれから数分がたつというのに、未だに落ち込んでいるらしい。
心なしか、手にした花もしおれて見える。
「アンタ如きをナオちゃんが誘う訳ないでしょ。ブワァッカっじゃないの?」
 坂巻の容赦ない一言に、江藤は床に寝そべって鼻を啜りだした。
あまりにも内情を包み隠さないその態度に、呆れを通り越して憐れみすら覚える。
「戻りました〜……って、あれ?江藤さん、どうしたんですか!?」
「いいんだナオちゃん……俺が……俺が勝手に期待して……うぅっ!」
「ど、どうしたんですか!?何処か痛いんですか!?江藤さん!」
 隣室から戻ってくるなり、膝を抱えて転がる江藤を目にして、彼女は慌てふためいた。
放っておくといつまでもその状況が続きそうだったので、立ち上がり、江藤を見下ろす。
「おい………お前の番だぞ」
 そう言って、顎で扉を示して見せた。
「秋山……………〜〜〜〜〜っ、うぉおおおおお!」
 もの言いたげに震えた後、江藤は転がった勢いで起き上がり、扉から駆けだしていった。
フクナガに勝るとも劣らぬ賑やかな男である。
「江藤さん、凄い気合い……」
 自分が葛藤を引き起こす張本人だ等と欠片ほども気づいていない様子で、
彼女はぼんやりその姿を見送った。
「豹柄で最後だよね?アイツが犯人であってくれればな〜」
 麻生が、苦笑しながら呟いた。
「良いな、それ。一瞬でゲーム終了になりそうだけどね」
 西田がにぃっと笑みを浮かべる。此奴も大概、人のことは言えないと思うが。
「っていうか、単純に考えて、一番怪しいのは白髪よね。
 葛城と手を組んでアタシ達を呼び出したんでしょ」
 武田は、腕を組んでヨコヤに目をやった。
「おや?心外ですね。これでも私は信頼できる人間だと言われるのですよ、初対面ではね」
 人を詐欺によって陥れる時のことを言っているのか、ヨコヤの表情が意味ありげに歪む。
「それに、手を組んでいるというなら、
 神崎さんだってあなた方を呼び出した張本人じゃありませんか」
 視線が一気に集中し、彼女は「え?え?」などと慌てふためく。
「そうだね〜、ナオちゃんも俺に平気で嘘とか付くようになったしね〜」
 フクナガが遠い目をして呟いた。
「そんな!アタシ違います!」
 彼女は立ち上がって、ばたばたと手を振った。ヨコヤが笑みを浮かべて肩を竦める。
「本当に?私の目を見て、断言できますか?」
「はい!」
 彼女はヨコヤの顔を見上げた。
「じっ」という擬態語が聞こえてきそうな程、一点の曇りもない眼差しで。
「兎に角」
 やや強めの声で言うと、彼女は弾かれたように此方を向いた。
「江藤が戻ってきたらゲーム開始。それまでに精々策を練っておくんだな。
 犯人だろうと、そうでなかろうと」
 一同が難しい顔で唸ったり、舌打ちしたりしている中、
彼女だけが何か言いたげな目で、自分を見つめていた。

 葛城によって示されたゲームは、実に簡単なものだった。
「ようは、犯人捜しです」
 葛城は掌で隠れる程度の、銀色のプレートを掲げて見せた。
「今から此方のプレートと携帯電話をお配りします。
 受け取っても、プレート表面のシールは剥がさないようにしてください」
 各々プレートを受け取ったのを確認し、言葉を続ける。
「そのシールの下には、3桁の数字が印刷されています。
 ピンで胸に付けるか、ストラップで首に掛けるかしてください。
 それが、貴方の容疑者番号です」
「容疑者番号?」
 大野が首を傾げた。
「これから別室に一人ずつお呼びして、お一人に犯人役を指定させていただきます」
「犯人?」
 西田が大野と全く同じ角度で首を傾げた。
「ええ、殺人犯です」
「さっ……」
 大野と西田が、揃って仰け反った。
「それぞれお持ちになっている番号。
 犯人はそれを私にメールで伝えることで、相手を殺める。
 つまり、リタイヤさせることが出来るんです」
「ああ、そういう……」
 二人はまたも揃って胸を撫で下ろす。
「ちょっと待てよ。だったら俺等は、ひたすら番号隠して怯えてろってことか?」
 菊池が眉を寄せた。葛城はくすりと笑って答える。
「これは犯人捜し。勿論、犯人以外の方には犯人を当てていただきます」
「そっか!そいつが葛城さんに密告している所を抑えれば……!」
 土田が大きく頷いた。
「だったら、ずっと見張っていればいい話じゃないの。犯人は必ずメールするんだから」
 坂巻マイが怪訝な顔をする。
「それも一つの方法です。ただ、全員を同時に見張るような真似が出来ればの話ですが。」
「………」
「私は皆さんの番号を知っていますから、犯人の方に加担しません。
 あくまでも、容疑者番号を聞き、殺された方の死を伝える。それだけの役割に徹します」
「その、死とか殺されるとかいう表現止めてくれねぇかな……怖ぇよ」
 江藤がびくびくしながら呟いた。しかし葛城はしれっとして答える。
「でないと、迫力ないじゃないですか」
「………」
「さて、皆さんが犯人を導き出す方法は、
 私とのやり取りを見張るより効率的な方法があります。
 それは、他の誰かの番号を私にメールで伝えること」
「え?それって……」
 麻生が呟く。
「安心してください。
 犯人以外の方が伝えたとしても、殺められることはありませんから、
 殺し合いにはなりません。
 自分以外の容疑者番号を、正しく私に伝えることで、
 一人につき一桁、犯人の番号をお伝えします」
「犯人の、番号?」
 牧園がメガネを押し上げた。
「そうです。
 ですから3人の人間の番号を伝えることが出来れば、
 少なくとも犯人の正確な番号を手に入れることが出来ます。
 あとは、その番号に当たる人物が誰なのかさえ解れば、犯人も解る、という寸法です」
「な〜る〜。メールしてるからって、犯人とは限らないって訳か」
 フクナガがこくこくと頷いた。
「容疑者の番号は、盗み見ても、単純に協力してお互いの番号を見せ合うでも構いません。
 見せた相手が、犯人でなければの話ですが」
 全員に沈黙が走った。
「犯人が分かった方は、この応接室にあるパソコンに、犯人の名前を入力してください。
 番号ではなく、名前でなければ認められません。
 言うまでもありませんが、間違った犯人を入力したら、その時点で死亡です」
「いや、だから、死亡って言い方は……」
 江藤がまだ何かぶつぶつ言っている。
「死亡した人間は、その時点で放送により、皆さんにお伝えします。
 時間制限は特に設けていません。
 ただ、ここに居る半数以上の7名を殺害されれば犯人の勝利、
 犯人を見つけ出すことが出来れば、その方の勝利とさせていただきます。では……」
 葛城は杖で牧園を示した。
「牧園君から、別室へどうぞ。細かい質問も受け付けますよ」

「これで、全員揃いましたね」
 葛城に促されるようにして、江藤が戻ってきた。
「では、それぞれ自分の番号を確認してください」
 各々が自分の番号を、手で隠しながら確認する。
「この建物にはいくつか別室もあります。
 容疑者が減るまで、隠れ続けるのも一つの方法です。
 告発用のパソコンはこの応接室にしかありませんが。」
 葛城は、全体を見渡して微笑んだ。
「それでは『殺人犯ゲーム』の開始です。皆さん、頑張ってくださいね」
 そう言うと、部屋の隅にあった赤い椅子に腰を下ろす。静寂が、部屋全体を支配した。
「………とりあえず、ルールの整理から始めませんか?」
 牧園が、おずおずと挙手した。

・それぞれが、3桁の番号の書かれたプレートを所持している。
・自分の番号以外は、直接相手のプレートを見ない限り解らない。
 (手や服で隠すのは可。他人に預けるのも可。
  ただし、プレートを誰も解らない場所へ隠すのはルールー違反として死亡となる。)
・13人の容疑者の中に、一人だけ「犯人」が居る。
・犯人に自分の番号を知られ、葛城に報告されると「殺害」となり、ゲームオーバー。
・犯人以外の容疑者の番号をメールで伝えると、一人につき一桁、犯人の番号が解る。
 (3人の番号を伝えれば、正確な犯人の番号を知ることが出来る。
  判明する番号の順序は、全容疑者共通。)
・同じ容疑者番号は、一度しか使用できない。死亡した容疑者の番号は無効となる。
 ただし、犯人の番号を送信した場合も、一桁知ることが出来る。
・存在しない容疑者番号を伝えた場合は死亡。ただし、番号の順序は違っても良い。
 (例・401を140とメール送信してもOK)
・犯人が分かった時点で、応接室のパソコンから犯人を名前で告発。正解なら優勝となる。
・間違った犯人を告発するとゲームオーバー。
・7人以上が犯人によって「殺害」された場合、犯人の勝利となる。

「こんな所でしょうか」
 牧園が少々得意げにメガネを上げた。
「なんだよ、こんなゲーム。簡単じゃねぇえか」
 江藤が中央に進み出た。全員の視線が集中する。
「みんな、忘れた訳じゃねぇだろ?ナオちゃんの言葉。
 信じ合うことが出来れば、必ず勝てるって!」
 江藤は彼女の方を見て、歯を見せて笑む。彼女はきょとんと目を瞬かせた。
「おい、犯人!今すぐ名乗り出ろよ。俺が今この場で告発してやる」
「はぁあ?ばっかじゃねぇの。そんなので名乗り出るわけねぇだろ。
 2億以上の金が掛かってんだぞ」
 菊池が顔を歪めて言う。しかし江藤は、逆に目を爛々とさせて菊池を指さした。
「そこだ。犯人だって賞金は欲しい。……よく考えてみろ。
 犯人を当てる側は、3人の番号をみれば良い。
 だが犯人は、7人も番号を見なければ勝てないんだ」
「まぁ……そういうことになるのか……」
 西田がぼんやりと呟く。
「ってことは、いくら自分が殺される心配がないからって、
 犯人が最終的な勝者になるのは難しい。
 だったら、みんなで手を組んだ方が絶対に得なんだよ」
「手を……組む?」
 大野がメガネの向こうで何度か瞬きする。
「犯人を当てた奴が勝利。
 なら、犯人じゃない誰かが勝利して、みんなで賞金を山分けすりゃあ良い。
 一人だけ得しようなんて思わなければ、みんなが幸せになれるんだよ!」
 長い、長い、沈黙があった。
「あ、あれ?これって……必勝法……じゃねぇの?」
「江藤君」
 急に不安げに周囲を見渡す江藤に、葛城が静かに進み出た。
「今、誰も名乗り出ていないという事実こそ、
 貴方の案が不可能だと言うことを示していると気づきませんか?」
「え?え?なんで?」
「そうですね……貴方にも分かり易いよう、まず仮にフクナガ君が犯人だとしましょう」
「へ?俺?」
 フクナガが素っ頓狂な声を上げて、自分を指さした
「賞金が仮に2億だとして、山分けすれば一人約1500万。10分の1以下です」
「んなこと解ってるよ。でも、0よりはマシだろ」
「貴方はそう思うかも知れませんが、フクナガ君がそう考えると思いますか?」
 江藤は暫くフクナガをじっと見つめ、がくりと項垂れた。
「無理だ……」
「おい、何か腹立つぞぅ〜い」
 フクナガが無表情に言う。
「それに貴方は犯人は不利と言いましたが、このゲームにおいて犯人は圧倒的に有利です。
 容疑者のフリをして、相手の番号を聞き出す話術さえあればいいんですから。
 自分が殺される心配はないのだし、自分の番号を教えるという交換条件にでもすれば、
 あっさり相手の番号を聞き出すことが出来るかもしれません」
「な……成る程」
 江藤はますます項垂れる。
「つまり、今名乗り出ない犯人が、
 この先貴方の説得に応じて名乗り出る可能性は極めて低い。
 それに、今此処で犯人が自分を貴方に告発させると言うことは、
 貴方に余程の信頼を置いていない限り、出来ることではありません」
「念書でも何でも書くよ!なんなら、俺じゃなくてナオちゃんに告発して貰うとか……」
「いいえ、賞金だけの問題ではないんです」
 その言葉に、江藤だけでなく、全員の視線が集まった。
「もう一つの、副賞が問題なんです」
「副賞……?」
 江藤は怪訝な顔で葛城を見返した。
「これは、山分けできるものではなく、確実に勝者にのみ贈られるものです」
「な、なんだよ、その副賞って!」
「それは………犯人の方のみにお伝えしました」
「んなっ……!」
 一同の顔に、驚愕の色が走る。
「犯人は、何が何でもこの副賞を他人には渡したくない筈です。
 だから、名乗り出ることは出来ない。
 自分以外の誰かが勝者になれば、確実にその副賞は手に入れることが出来ないからです」
「勝者……」
「貴方も、貰ったらとても嬉しい物だと思いますよ。賞金以上に」
 葛城は江藤の顔を覗き込み、微笑む。
「おいおい、二億より嬉しい物って何だよ」
 菊池がにやにやしながら言った。
「土地?」
「株?」
「炭坑とか……」
「宝の地図!」
 それぞれが好き勝手なことを呟き出す。
「ナオちゃんと行く海外旅行とか」
 武田に一同の視線が一気に集中し、それから揃って彼女へと移動した。
 彼女は「え?え?」と慌てふためく。
「ゆ、ユキナさん!なんてこと言うんですかぁっ!」
 立ち上がって顔を真っ赤に染めた彼女を見て、武田はからからと笑う。
「だって、アタシはそれが一番嬉しいもん♪」
「も、もう!からかわないでくださいよ!」
 彼女は頬を抑えて座り直した。
「でも、いいね〜それ。なんかすっごい、マイナスイオンを得られそうな気がするわ〜」
 坂巻マイが彼女から自分の方へ向けて、ぱたぱたと手で仰ぎながら呟いた。
参拝前に線香の煙を浴びているようだ。彼女は困ったように俯いている。
「………豹柄、鼻血」
「うぇええっ!?」
 フクナガの言葉に、江藤は跳び上がって顔を押さえた。
「嘘だよ〜ん」
「こ、このっ……!」
 殴りかかる江藤をさらりとかわし、フクナガは彼女の隣に腰を下ろした。
「旅行も悪くないけど、俺には金より良いものなんて分かんないね。
 俺は確実に賞金狙いに行くから、そこんとこよろしく!」
 聞くまでもない。此奴は、そういう男である。
「やれやれ、皆さんはつくづく面白い方々ですね」
 不意にヨコヤが口を開いた。そのまま扉の方へ歩いていき、深く一礼する。
「私は別室で、暫く策を練らせていただきますよ。
 此処にいて、うっかりプレートを見られでもしたら大変ですから」
 その言葉に、皆が一斉に自分のプレートを隠す。
「では、失礼……」
 ヨコヤはそのまま、部屋を出て行った。
「そっか……みんなで同じ部屋に固まってるのって、結構危険なんだよね」
 麻生が、不安げに部屋を見渡した。
「ひょっとして……今の白髪さんが犯人だったら……」
 牧園の言葉に、視線が扉に集中する。
「別室で策を練るとか言って、こっそりメールしに行ったのか!?」
 西田ががくがくと震え出す。
「一体、誰を……?」
 視線がぐるりと移動し、ひたりと止まった。江藤だ。
「え?俺ぇ〜?」
 その口調には、「まさか」という意図が含まれている。
「アンタさっき、真ん中で大騒ぎしてたじゃない。
 はっきり言っちゃうけど、全員に番号丸見えだったから」
 武田の言葉に、江藤の血の気が引いていった。坂巻が彼に近付き、ぽんと肩を叩く。
「死んだな、お前」
「そ、そんなぁ〜……」
 江藤はがくりと床に手をついて項垂れた。
「アタシも別室行こうかな。此処にいて、豹柄の二の舞だけは御免だもん」
 武田はすたすたと部屋を出て行った。
それを合図にするように「アタシも」「僕も」などと良いながら、次々部屋を出て行く。
江藤も逃げるように部屋を出て行き、最後に残ったのは彼女と葛城とフクナガだった。
「ナオちゃんはどうするの?」
「私は、もう少し此処にいます」
「そう。俺は、他の奴等の様子を探ってくるけど
 ……ついでにナオちゃんの番号も聞いておこうかな」
「え?」
 いきなり核心を突いてきた。
 フクナガはソファーに腰を下ろした彼女の前にしゃがむと、歯を見せて笑んだ。
「俺は、犯人じゃない。ナオちゃんの番号を教えて欲しいんだ。
 勿論、俺の番号も見せるよ。ナオちゃんなら、信じてくれるよね?」
「で、でも……」
 彼女は縋るような視線を自分に向けてきた。
 その視線を受けず、敢えてフクナガの方へ目をやる。
 フクナガは、此方を馬鹿にしているような妙な顔をして見せた。
「なぁんてね。
 ナオちゃんが犯人って言う可能性も在るわけだし、俺だって危ない橋は渡りたくない。
 ま、番号教える気になったら、俺んとこ来てよ」
 フクナガはひらひらと手を振りながら、部屋を出て行った。
「………さて」
 それを待っていたかのように、葛城が腰を上げる。
「皆さん、ばらばらになってしまいましたね。
 私は別室の監視カメラから、全体の様子を窺わせていただきます」
 そんなものまで在るのか。用意周到なことだ。
 葛城は意味深な笑みを浮かべて、そのまま部屋を後にした。

 広い部屋の片隅に、ソファーに座った彼女と、壁に背を預けた自分だけが残る。
「………えっと、370、370……。自分の番号は覚えなきゃ。3・7・0だから……。
 ……あ!70って、ナオ!……でも、3はどうしようかな?み……?さ……?」
 彼女はプレートを見つめて、ぶつぶつ言っている。それは全て丸聞こえであり、また、聞こえることを気に留めていないようだった。
自分が犯人である可能性を、全く考えていないらしい。
「おい……」
 声を掛けると、彼女は弾かれたように此方を向いた。
「はい?」
「あ……いや」
 自分を疑えと言うのも妙な話で、思わず口籠もる。彼女は不思議そうに首を傾げた。
「お前、いつの間に葛城とこんな企画を目論んでたんだ?」
「目論むだなんて……」
 適当に質問してみると、表現が気に入らなかったのか、不満そうに口を尖らせた。
「葛城さんに頼まれたんですよ、皆さんにお手紙を書いてくださいって」
「手紙……」
「面識がないから頼みづらいので、
 私から招待状を出してくれませんかってお願いされたんです。
 色鉛筆使うとかこんな文章にするとか、いろいろアドバイスもくれたんですよ!」
 成る程。彼女は良い様に利用されたという訳か。
 ライアーゲームを経験し、騙されることの恐ろしさを知っている人間でも、
神崎直からの呼び出しであれば、疑いなく受け入れるだろう。
自分も見事に踊らされたわけである。
「皆さんが来てくれて、葛城さんにも喜んで貰えたと思います。ありがとうございます!」
「ああ、そう……」
 適当に頷き、窓の外へ目をやる。まだ日も高い。
真っ昼間から、自分は一体何をしているのだろうと、虚しい心持ちになった。
「……でも、私も嬉しかったです。その……皆さんが、来てくれて」
 彼女が、ともすれば聞き逃しそうな声で呟いた。
「皆さん」という言葉の前に、一瞬迷うような間を置いて。
 目を向けると、彼女もまた、此方を見上げてきた。
簡単に騙される単純さを持ちながら、何故が強さを感じるその目が、
じっと、自分を見つめている。
「秋山さん……私、ずっと訊きたかったことがあるんです」
「………」
「どうして、居なくなっちゃったんですか……?」
 彼女の目が、ふっと弛んだ。……まただ。幼い子どものような、泣き出しそうな、表情。
どうにもこれだけは、逆らいがたいものがある。
「二年前、3回戦の後………。谷村さんに聞きました。海外に行ってたって……」
 谷村。警官の姿で彼女に近付いたという、あの事務局員のことか。
「ゲームは終了したと思っていた。だから、止まる必要もなかった。それだけだ」
「でも!」
 いつの間に立ち上がったのか、気づけば彼女の顔が直ぐ近くにあった。
何故か酷く不満そうなへの字口で、此方を見上げている。
「でも……何にも……」
 徐々に声が小さくなり、俯いた。暫く黙って眺めていると、突如ぱっと顔を上げる。
「今度は、居なくなっちゃったりしませんよね?」
「………」
「しない……ですよね?」
 表情に、不安の色が宿っていく。思わず、溜息が漏れた。
「回りくどい言い方をしても、理解できないってことか……」
「はい?」
「いや………当面、海外に行く予定はない」
 そう呟くと、彼女は分かり易く、安堵の溜息を付いた。

 ライアーゲームを終えて、彼女から請われたこと。せめて、バカ正直が治るまでは。
 彼女はとうに、騙されて奪われ続ける愚か者などでないと解っていた。
 だから、ゲームが終った今、自分は必要ないだろうと答えた。
 そして、それを全て、嘘だと言った。お前のバカ正直は、一生治らないと。
 彼女はそれを、嬉しそうに受け止めた。
 嘘つきは駄目かと問えば、それも良いと、彼女は答えた。
「言葉通りの意図で解釈されるとはな……」
「秋山さん……?」
 小声でぼやく自分を、彼女が不思議そうに首を傾げて眺めている。
「……このゲーム、勝つ気で居るのか?」
 話題を振れば、彼女は驚いたように目を瞬かせ、それから首を捻った。
「う〜ん、負けてもライアーゲームみたいに困る人はいないし、副賞は気になるけど……。」
 暫く悩んでいるようだったが、彼女はぱっと顔を上げ、力強く頷いた。
「やっぱり、参加する以上は勝ちたいです。
 もし勝てたら、賞金を使って皆さんで美味しい物を食べに行きたいなぁって」
「……そうか」
「はい!」
 彼女はもう一度大きく頷いた。彼女の思考回路を考えれば、妥当な答えだろう。
「秋山さんは……?」
 彼女の問いに、少し迷ってから首を振る。
「俺は犯人を当てる気も、誰かの番号を知る気もない。葛城の言いなりは癪だからな」
 そう言うと、彼女はくすくすと笑って「そうですか」と呟いた。
「じゃあ、自力で優勝を狙います!見ててくださいね!」
「………ああ」
 少なくとも名目上は、勝てば得をするが負けても損はないゲームだ。
娯楽に近いものであり、目の色を変えて参加しているフクナガのような人間でなければ、
負けて泣くようなこともないだろう。
「なら、さっさと葛城に送るんだな………497を」
 彼女は言葉の意味が分からなかったのか、呆けたような顔になる。
「それ……誰の……?」
「決まってるだろ。江藤だ」
 あの状況で、江藤のプレートを見ようとしなかったのは彼女くらいだろう。
それぞれが場所を移動したのも、葛城に送信する所を見られないようにするため。
容疑者は、犯人に繋がる情報を得ているほど、犯人に狙われやすいから、
自分が情報を得ていることはなるべく知られたくない。
犯人であるなら言わずもがな、なるべく連中とは別行動を取りたいと考える。
「江藤さんの……番号……」
 彼女は躊躇うように携帯電話を見つめた。
「お互いが見えないというこの状況は、犯人が「殺害」を実行するのには絶好の機会だ。
 言動から考えて、江藤が犯人である可能性は低い。つまり、どうせ江藤は間もなく死ぬ。
 せめて番号を利用してやった方が、アイツも本望だろ」
「そんな言い方……」
 彼女は口を尖らせ、尚も携帯電話を見つめている。
分かり易く溜息を付いて見せ、壁から背を離し、自分の携帯電話を手に取った。
「お前がしないなら、俺が送信するぞ」
「あ!わ!えっと……」
 彼女は慌ててメールの送信を始めた。
相手に不利益にならないと解っていても、ゲームにおいて使用されている
「死」という言い回しから、気が咎めるのだろう。
申し訳なさそうな顔をしながら、ボタンを操作していく。
「わ、早い!もう来ましたよ返信!」
 彼女は目を見開き、画面を掲げて見せた。
 飾り気のないフォントで「0」という文字が浮かび上がっている。
「0……。0が入っているプレートを持っている人が、犯人ってことですよね」
 彼女は画面を見つめて唸っている。
その一桁を、どのように利用して良いものか考え倦ねているようだ。
「せめてもう一桁解れば、かなり絞れるんでしょうけど……」
「何人かに絞ることが出来たとして、その後はどうする」
 そう言うと、彼女は目を瞬かせた。
「それは、0とその番号を持っている人を捜して……」
「盗み見る、ということか?」
「う……」
 彼女は小さく呻いて絶句した。そう、彼女も気づいたらしい。
「このゲーム、問題は自分が犯人でないことを如何に証明するかにある。」
「……え?どういうことですか?」
 手の中にプレートを隠したまま、彼女に掲げて見せた。
「このプレート、装着することが条件だが、服などで隠すことは禁止されていない。
 そのまま内ポケットにでも隠してしまえば、盗み見ることはほぼ不可能だ。
 さっきの江藤のような場合を除いてな」
 彼女はプレートを見つめて、こくこくと頷いた。
「だから、自らプレートを見せられる以外、他の容疑者の番号を知る術はない。
 見せた相手が犯人だった場合はゲームオーバー。
 だとすれば、交換条件として自分の番号を見せ、既に明らかになっている犯人の番号と、
 一桁も一致していないことを証明しない限り、相手は警戒心を解かない」
「番号が明らかになると、それが犯人の手がかりになるだけじゃなくて、
 身の潔白を証明して、協力を請うことも出来るってことですね!」
 嬉しそうに手を叩いたあと、自分のプレートに目を落として「あ…」と呟く。
「でも私の場合、0があるから、それは無理か……」
「いや、二桁目の番号を得る手段は他にもある」
 しょんぼりと項垂れていた顔が、ぱっと上がった。
「江藤の番号を利用して、一桁目を手に入れなかった人間はほぼ居ないだろう」
「でも、だったら尚更、0の入っている私は信じて貰えないんじゃないでしょうか?」
「いや。0が入っていないプレートを持つ人間に、先に自分の番号を見せ、
 相手に二桁目を入手させる。自分のプレートに二桁目の番号が入っていなければ、
 相手も安心して自分の番号を見せてくるって訳だ」
「そっか!それならお互い安心して教えあえますね!」
 彼女の表情が、安堵の色に染まる。
「犯人の番号と二桁が重なっていた場合、相手に自分の番号を教えただけで、
 犯人でないことを証明できない可能性もあるが、少なくとも、
 0が入っていない相手に教えるのなら、殺される可能性はない」
「わかりました!じゃあ早速行ってきます!」
 そうして、彼女はぱたぱたと音をさせて走り出す。
「待て」
 声を掛けると、転びそうな勢いで蹈鞴を踏んで止まった。きょとんとして振り返る。
「なんですか?」
「お前はどうやって、0を持たない人間を見つけるつもりだ?」
「え?0の無い人はいませんか?って、聞いて回って……」
「それで名乗り出た奴が居るとする。
 だが、さっきの交渉は、お前が先に自分の番号を掲示することで成立するもの。
 つまり、0が無いと名乗り出た奴の番号に、本当に0が無いかどうかは、
 お前自身は確認できないってことだ」
「あ……そうですよね……」
 彼女はまた、しゅんと肩を落とす。
「じゃあやっぱり、交渉は出来ないってことなんでしょうか……?」
 その言葉に、思わず笑みが漏れた。
「自分が交渉できないなら、どうすればいい?」
「え……?誰かにお願いするってことですか……?」
「確実に犯人ではないことを全員が知っていて、
 尚かつ自分にメリットが無くとも協力せざるを得ない人間は?」
「………?確実に、犯人じゃない………。あ!」

「あははは!そうだよな。俺、既に死んでるもんな。生きてるのが奇跡だもんな」
 彼女の説明に、江藤は乾いた笑いで答えた。
 廊下の片隅でいじけていた江藤に、彼女は必死に懇願する。
「お願いします!今、皆さんから信用して貰えるのは、江藤さんしかいないんです!」
 つくづく、物は良いようだ。彼女の言葉に、江藤の顔は満更でもなさそうに弛む。
 彼女の考えた策は単純だが、3桁の番号を手に入れるのは十分可能だった。
 まず、江藤と組み、0の入っていないプレートを持つ人間を捜す。
名乗り出た人間二人以上を協力者とし、江藤がその番号を確認する。
この時、神崎直は相手の番号を確認しないことを条件にする。
全員が番号を知っている江藤が犯人でないことは解っているので、相手にもリスクはない。
 江藤が入手した二桁の番号を、相手に画面を見せて伝える。
二桁の番号から、神崎直が犯人でないことは証明されるので、
名乗り出た人間二人と神崎直は、互いの番号と江藤の番号を利用して、
犯人の番号を三桁全て入手することが出来るのだ。
 つまり、江藤という仲介役を通して、協力を請うのである。
「俺が未だに生かされてるのは、多分犯人の気まぐれ。
 俺が生き延びるには、殺されるより先に、犯人を割り出すしかない。
 これはほぼ不可能だ。
 だったら、せめてナオちゃんの役に立った方が、俺の意味もあるってもんだ」
「江藤さん……それじゃあ!」
「勿論。協力するよ、ナオちゃん。」
 彼女は「よかった」と微笑み、こちらを向いてOKサインを示した。
「あ……でもなんで二人も仲間にするんだ?3桁の番号を手に入れれば犯人の番号が解る、
 つまり、自分を含めて、4人でチームを組めばいいわけだろ?
 俺とナオちゃん、秋山が既に居るんだから……」
「生憎だが、俺は含まれていない」
 きっぱりそういうと、江藤は「は?」と口を半開きにした。
彼女が慌てて間に入り、幼い子どもに母親が言うような口調で言った。
「今回は、秋山さんに頼っちゃ駄目なんです」
「いや……けど……」
「確かに、秋山さんがプレートを見せてくれたら、二桁目も解ります。
 でもそれは、本来犯人の可能性のある他のプレーヤーなら、頼めないことです。
 秋山さんだから協力してくれるなんて、甘えてちゃ駄目なんです!」
 そして彼女は、拳を握り、「ふん」と気合いを入れた。
江藤はまだ釈然としない顔をしている。助け船を出すつもりで口を開いた。
「俺の番号には0が入っている。俺が犯人でないことを証明する術はない。
 だから、俺はこの作戦には協力できないってことだ」
「いや、俺が言いたいのはそういうことじゃなくて……」
江藤は視線を逸らし、
「それだけアドバイスやってるくせに参加しないとか、説得力ねーっつの」
などと小声でぼやいていたが、聞こえないふりをした。
「……俺には賞金も副賞も必要ない。
 なんなら、死に損ないのお前にプレートごとくれてやろうか?」
 手の内に握った銀のプレートを掲げると、江藤は面白くなさそうに舌打ちした。
「いらねぇよ!見とけ……お前の助けなんざ一切借りねぇで、犯人を見つけてやる!」
 彼女は少々不安そうな顔をしていたが、揉め事が収まったと思ったのか、
 小さな安堵の溜息を付いた。そして、気持ちを切り替えんと手を叩く。
「じゃあ、0番の入ってない人、捜してきますね」
 そう言って、ぱたぱたと走り去った。





game3→

入口へ戻る